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キングダム黒羊丘の戦いネタバレ!桓騎の戦術を史実を基に解説!

キングダム黒羊丘の戦いネタバレ!桓騎の戦術を史実を基に解説!

今回は、アニメ「キングダム」第5シリーズで描かれる「対趙(チヨウと思います。

特に、秦(シン)軍の将軍・桓騎の戦術に注目して、彼の天才性と残虐性を探っていきましょう。

黒羊丘の戦いとは、紀元前234年に秦(シン)と趙(チヨウ)の間で起きた戦争です。

秦(シン)は中華統一に向けて、魏(ギ)から山陽地方を奪取した後、趙(チヨウ)の天然要塞・黒羊丘(こくようきゅう)を攻略しようとしました。

しかし、趙(チヨウ)は元三大天の廉頗(レンパ)を招聘(ショウヘイ)して、総勢50万の合従(ガッショウ)軍を結成しました。

秦(シン)軍20万と合従(ガッショウ)軍50万の壮絶な攻防戦が、函谷関(カンコクカン)から黒羊丘(こくようきゅう)まで繰り広げられました。

この記事では、桓騎の戦術を史実を基に解説していきますので、キングダムファンの皆さんも、これから見る予定の皆さんも、ネタバレありの内容となっておりますのでご注意下さい。

 

キングダム黒羊丘の戦いネタバレ!

キングダム黒羊丘の戦いネタバレ!桓騎の戦術を史実を基に解説!

秦(シン)は趙(チヨウ)を滅ぼすべく、その要衝である黒羊丘(こくようきゅう)を狙います。

当初は楚(ソ)に侵攻する計画でしたが、情勢の変化により趙(チヨウ)へと方針を転換します。

飛信(ヒシン)隊もその作戦に参加する事になります。

黒羊丘(こくようきゅう)を巡る戦いは、単行本の41巻から45巻にかけて展開されます。

41巻では、桓騎(カンキ)軍の千人将であるオギコが飛信(ヒシン)隊に接触し、桓騎(カンキ)の存在を伝えます。

桓騎(カンキ)は、蒙驚(モウゴウ)将軍の部下として秦(シン)軍の総大将を務めます。

元は山賊の頭目でしたが、その才覚と残忍さで六将に匹敵するほどの名声を得ました。

王騎(おうき)もその能力を高く評価していました。

信(シン)は、桓騎(カンキ)という異色の将と初めて共闘する事になります。

対する趙(チヨウ)軍の総大将は、慶舎(ケイシャ)という若き天才でした。

慶舎(ケイシャ)は、三大天の一角を狙うほどの実力を持ち、李牧(リボク)の最愛の弟子でした。

彼もまた、信(シン)と同じく戦乱の中で生き抜いた孤児でしたが、李牧(リボク)に見出されてその門下に入りました。

李牧(リボク)から軍略の極意を学び、その師匠にも引けを取らないほどの名将となりました。

桓騎(カンキ)と慶舎(ケイシャ)は、黒羊丘(こくようきゅう)の奪い合いで激突します。

黒羊丘(こくようきゅう)は、趙(チヨウ)の命運を左右する重要な地でした。

その戦いは、中華全土が見守る壮絶な戦いとなりました。

 

春申君の最期と楚国の動乱

楚(ソ)の覇者である春申君(シュンシンクン)が、自らの食客によって暗殺されるという衝撃的な事件が、黒羊丘(こくようきゅう)の戦いの直前に発生します。

春申君(シュンシンクン)は、戦国四君の一人として中華の覇権を争ってきた名君であり、先に崩御した考烈(コウレツ)王の後継者を決める権力者でもありました。

その春申君(シュンシンクン)が、王位を巡って対立していた李園(リエン)という男によって刺されたのです。

このニュースに、中華は驚きと恐怖に包まれます。

楚(ソ)国内では、春申君(シュンシンクン)の死によって混乱が広がります。

李園(リエン)は、自らの野望のために春申君(シュンシンクン)と互いに刺客を仕向け合っていましたが、ついにその勝負に勝利したのです。

秦(シン)は、楚(ソ)が内紛に陥っているこの好機に、楚(ソ)を攻めるべく動き出します。

しかし、李園(リエン)の説得を受けた媧燐(カリン)という女性が、宰相(サイショウ)として楚(ソ)の政治を掌握し、1ヶ月も経たないうちに国内の乱れを収めたのです。

媧燐(カリン)は、秦(シン)の侵攻を防ぐために、趙(チヨウ)との同盟を結びます。

そして、飛信(ヒシン)隊は、趙(チヨウ)の重要拠点である黒羊丘(こくよう)に向かって進軍するのです。

 

信と桓騎の不協和音と黒羊丘の攻防

桓騎(カンキ)軍の奇人・オギコの口から桓騎(カンキ)の言葉を伝えられた信(シン)は、桓騎(カンキ)軍と合流するために「拡珉(カクミン)」へと向かいます。

しかし、そこで目にしたのは…

本陣に娼婦(ショウフ)を連れ込んだり、捕虜(ホリョ)を残虐(ギャクサツ)に殺したりと、飛信(ヒシン)隊には信じられない光景でした。

信(シン)も桓騎(カンキ)に会うと、体が自然に反発するほど、桓騎(カンキ)は異様な雰囲気をまとっていました。

思想や戦術が全く異なる、対立するタイプである信(シン)と桓騎(カンキ)。

二人の隊長が合わないということは、二つの隊も合わないということです。

果たして協力できるのでしょうか?

黒羊(こくよう)には城壁はありません。

黒羊(こくよう)の戦いは、五つの丘を奪い合う丘争いになります。

桓騎(カンキ)軍本陣で摩論(マロン)の作戦説明を聞き、右翼の任務を受けた飛信(ヒシン)隊。

飛信(ヒシン)隊は、望まない仲間、桓騎(カンキ)軍とともに黒羊丘(こくようきゅう)へと進むのです。

 

飛信隊の苦境とゼノウ一家の猛威

黒羊丘(こくようきゅう)の戦いは、秦(シン)と趙(チヨウ)の両軍が同じ作戦を立てていました。

中央丘を最後に残して、奥に前線を確保したかったのです。

そうすれば、手前の丘は簡単に制圧でき、中央丘も攻めやすくなるのです。

桓騎(カンキ)軍は右翼に飛信(ヒシン)隊、左翼に雷土(ライド)隊を配置して進撃します。

趙(チヨウ)軍は川を利用していかだで下り、秦(シン)軍の側面にある丘に上陸します。

目標は飛信(ヒシン)隊でした。

飛信(ヒシン)隊はまだ趙(チヨウ)軍と遭遇するとは思っていませんでしたが、馬呈(バテイ)の指揮する趙(チョウ)軍の急襲を受けてしまいま す。

しかも両側から攻められてしまい、大混乱に陥ってしまいます。

信(シン)は何とか形勢を立て直そうとしますが、趙(チヨウ)の劉冬(リュウトウ)軍が隙を見て秦(シン)軍の丘を奪ってし まうのです。

馬呈(バテイ)軍の攻撃は囮(オトリ)に過ぎなかったのです。

取り返しに向かう飛信(ヒシン)隊は、丘に着くと劉冬(リュウトウ)軍の姿は消えていました。

信(シン)は馬呈(バテイ)・劉冬(リュウトウ)の罠にかかったのです。

飛信(ヒシン)隊が引き返している間に、趙(チヨウ)左翼軍が中央丘の先に前線を築いてしまったのです。

飛信(ヒシン)隊の敗北を見た桓騎(カンキ)は、このままでは危ないと判断したのでしょう。

桓騎(カンキ)軍の中で最も異色で最も強力なゼノウ一家を、順調に進んでいた雷土(ライド)隊に合流させ、左から趙(チヨウ)軍を打ち破ろうとしました!

圧倒的な破壊力で暴れるゼノウ一家。

しかし、趙(チヨウ)軍の大将である慶舎(ケイシャ)は、雷土(ライド)隊とゼノウ一家家の合流軍を大木で遮断すると、後方の部隊を壊滅させたのです。

これにより雷土(ライド)隊もまた撤退を余儀なくされ、序盤は趙(チヨウ)軍の優勢になってしまったのです。

 

羌瘣の夜襲と黒羊の村の人々

黒羊丘(こくようきゅう)の戦いの最中、斥候(セッコウ)として活動していた羌瘣(キョウカイ)は、たまたま劉冬(リュウトウ)軍の陣地に近づいていました。

羌瘣(キョウカイ)は暗殺者としての血が騒ぎ、飛信(ヒシン)隊のために劉冬(リュウトウ)を斬ることを決意しました。

仲間の制止を振り切って劉冬(リュウトウ)軍の陣営に潜入し、劉冬(リュウトウ)の姿を探し出すのです。

しかし、羌瘣(キョウカイ)の気配に気付いた劉冬(リュウトウ)は、全く動じることはありませんでした。

劉冬(リュウトウ)もまた武芸に秀でた者で、罠にかかったとはいえ羌瘣(キョウカイ)と渡り合います。

二人にはそれぞれ守るべきものがあり、執念と執念のぶつかり合いでした。

そして二人は互いに傷を与えますが、劉冬(リュウトウ)が仲間を呼び寄せたことで、羌瘣(キョウカイ)は劉冬(リュウトウ) の寝床があった高台から落下してしまいます。

羌瘣(キョウカイ)による劉冬(リュウトウ)暗殺は成功しませんでした。

一人で突入してきた羌瘣(キョウカイ)は、何とか自分の力で仲間のもとに戻ろうとします。

しかし、羌瘣(キョウカイ)の負った傷は重く、追撃する者に矢を受けて意識を失ってしまうのです。

そんな羌瘣(キョウカイ)を救ったのは、思いがけない人々でした。

趙(チヨウ)の領土である黒羊(こくよう)の村の村長と村人たちでした。

 

中央丘の争奪戦と飛信隊の危機

黒羊丘(こくようきゅう)の戦いは二日目に突入し、中央丘の奪い合いが本格化します。

五つの丘のうち、中央丘を制する者が勝利に近づくというのが黒羊丘(こくようきゅう)の戦いの常識でした。

作戦は秦(シン)と趙(チヨウ)の両軍とも同じで、丘のふもとで戦う左右の軍が前線をできるだけ前に進めて、丘の上で戦う仲間とともに敵を挟み撃ちにするのです。

つまり飛信(ヒシン)隊と雷土(ライド)隊の戦いが、非常にカギになってくるのです。

翌日の戦いでは、決して失敗がゆるされない飛信(ヒシン)隊。

作戦を伝えに来た摩論(マロン)から、桓騎(カンキ)からの言葉で「次に失敗するようなことがあれば、砂鬼(サキ)一家を差し向ける」と脅されます。

拷問(ゴウモン)が趣味の異常者集団である砂鬼(サキ)一家は、味方である他の桓騎(カンキ)軍ですら恐れる集団でした。

拷問(ゴウモン)されないためにも、飛信(ヒシン)隊は、今回はどうしても成功させなくてはならないと心に誓ったのです。

 

渕副長の執念が河を越えた

飛信(ヒシン)隊は前日とは打って変わって敵を次々と倒していきました。

しかし、これは敵の罠でした。

森を駆け抜けた信の目に飛び込んできたのは「河」でした。

河の向こうには馬呈(バテイ)の趙(チヨウ)軍が構えていました。

舟も橋もなく、渡河せざるを得ない状況でした。

河了貂(カリョウテン)は軍師学校で昌平君(ショウヘイクン)から、「対岸に敵がいる渡河戦は無理だ」と教わショウヘイクン

だから時間を稼がなければなりませんでしたが、この戦いにはその余裕はありませんでした。

河了貂(カリョウテン)は河を見渡して、ほんのわずかな希望を見つけました。

敵が警戒していない、非常に危険な川岸がありました。

流れが速く、水が深く、対岸は切り立った崖でした。

敵もそんなところは渡れないと思っていたのでしょう。

河了貂(カリョウテン)はその川岸を渕(エン)さんに任せ、敵の背後を突く作戦を考えました。

そして、渕(エン)さんこそが最適だと言い切りました。

なぜなら、渕(エン)さんには仲間のために絶対にやり遂げるという意志と責任感があり、他にはないものがあったからです。

まさか、このような奇策を実行できる人物が敵にいることは、劉冬(リュウトウ)という軍略の達人でも予測することもできませんでした。

渕(エン)さんは危険を顧みずに河を渡り、馬呈(バテイ)軍を奇襲しました。

そして飛信(ヒシン)隊の主力が上陸し、不可能と思われた渡河戦を勝ち取ったのです!

 

老婆との出会いが羌瘣の運命を変えた

羌瘣(キョウカイ)は劉冬(リュウトウ)との一騎打ちで重傷を負ってしまい、意識を失っていました。

そんな彼女を助けたのは、黒羊(こくよう)の村に住む老婆でした。

実は羌瘣(キョウカイ)は以前、この村の老婆に、秦(シン)と趙(チヨウ)の戦火に巻き込まれないように、村を離れるように忠告していたのです。

飛信(ヒシン)隊は無関係の民には絶対に手をかけないという信念を持っていましたが、羌瘣(キョウカイ)もその信念を共有する将でした。

老婆は最初、秦人である羌瘣(キョウカイ)を「侵略者」と罵り「出て行け」と言い放ちます。

しかし、羌瘣(キョウカイ)の言葉から、彼女が悪意のない将であることを感じ取っていたのです。

だから、敵である秦(シン)の将であっても、血まみれで倒れている羌瘣(キョウカイ)を見捨てることができなかったのです。

まさに、「情けは人の為ならず」という、お手本のようなエピソードですね。

 

紀彗が離眼の盟主となるまでの苦難

羌瘣(キョウカイ)は老婆から紀彗(キスイ)の過去を聞きました。

羌瘣(キョウカイ)が持っていた「離眼(リガン)の守り子」を見て、老婆は紀彗(キスイ)が離眼(リガン)軍の将であることを知りました。

紀彗(キスイ)は若い頃、父の紀昌(キショウ)と暗何(アンカ)の城主である唐トウカンカン)との戦いに参加しました。

紀昌(キショウ)は民に優しく、唐寒(トウカン)は民に厳しかったので、多くの民は離眼(リガン)の城主である紀昌(キショウ)を支持していました。

紀彗(キスイ)は劉冬(リュウトウ)や馬呈(バテイ)と共に戦い、暗何(アンカ)の城主唐寒(トウカン)を倒しました。

ところが、唐寒(トウカン)の息子である唐鈞(トウキン)が、主力のいない離眼(リガン)城を奪い、城の民や傷ついた者を人質にしました。

唐鈞(トウキン)から、人質の解放を条件に投降を迫られた紀昌(キショウ)や将校たちは、離眼(リガン)の子どもたちを守るために自ら死を選択しました。

紀彗(キスイ)は父や仲間たちが焼き殺されるのを見て、悲しみに暮れました。

紀彗(キスイ)はその後、離眼(リガン)軍を父の時代のように再建し、因縁である唐鈞(トウキン)軍を滅ぼしました。

紀彗(キスイ)は離眼(リガン)城を守るために、秦(シン)に黒羊(こくよう)を譲ることはできませんでした。

 

羌瘣と劉冬の最後の戦い

慶舎(ケイシャ)の本拠地を目指す飛信(ヒシン)隊の動きに気付いた劉冬(リュウトウ)は、飛信(ヒシン)隊を止めるために奇襲を仕掛ける。

だが、その前に現れたのは、死にかけていたはずの羌瘣(キョウカイ)だった。

再び相対することとなった羌瘣(キョウカイ)と劉冬(リュウトウ)。

互いに先日の戦いで深い傷を負っているが、それでも戦意は衰えない。

劉冬(リュウトウ)は智将として知られているが武勇にも優れており、剣の腕は羌瘣(キョウカイ)にも決して劣らない。

離眼(リガン)城の城主である紀彗(キスイ)は、馬呈(バテイ)と共に、離眼(リガン)城を守ることが彼の使命だ。

黒羊(こくよう)の関所を通過させることは、離眼(リガン)城に侵入することを意味する。

そのために、劉冬(リュウトウ)は羌瘣(キョウカイ)と死力を尽くして戦う。

羌瘣(キョウカイ)もまた、自分の仲間である飛信(ヒシン)隊のために、敗北は許されないと思っている。

羌瘣(キョウカイ)隊は数で劣っていたが、激闘の末に羌瘣(キョウカイ)の剣が劉冬(リュウトウ)に届き、勝負が決まった。

羌瘣(キョウカイ)は、味方である桓騎(カンキ)軍でさえも、離眼(リガン)での殺戮(サツリク)や暴行(ボウコウ)は許さないということを劉冬(リュウトウ)に誓った。

劉冬(リュウトウ)はその言葉を信用したのか、「離眼(リガン)の守り子」握りしめ静かに息を引き取った。

※実際の歴史に羌瘣(キョウカイ)が存在していたのか気になる方はこちらをご覧ください。

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信が慶舎を討つまでの戦い

慶舎(ケイシャ)は「沈黙の狩人(カリュウド)」と呼ばれる趙(チヨウ)軍の総大将でした。

慶舎(ケイシャ)は敵を罠にはめて倒す「待ち」の達人でしたが、桓騎(カンキ)はどんなチャンスがあっても一切動かず、慶舎(ケイシャ)を焦らせ続けます。

桓騎(カンキ)は飛信(ヒシン)隊を餌にして、慶舎(ケイシャ)を誘います。

まちきれなくなった慶舎(ケイシャ)は、飛信(ヒシン)隊を滅ぼそうと自ら動いてしまいますが、桓騎(カンキ)軍のゼノウー家に攻撃されました。

紀彗(キスイ)軍が慶舎(ケイシャ)を助けましたが、慶舎(ケイシャ)は桓騎(カンキ)の恐ろしさを知ると同時に弱点を見抜きした。

慶舎(ケイシャ)は後退しましたが、餌に使われた飛信(ヒシン)隊に気が付いていませんでした。

完全に敵の目から存在が消えていたアドバンテージを利用して、信(シン)は飛信(ヒシン)隊を率いて、慶舎(ケイシャ)の本陣に突撃しました。

信(シン)は劉冬(リュウトウ)や羌瘣(キョウカイ)や那貴(ナキ)の協力で、慶舎(ケイシャ)と対峙しました。

信(シン)と慶舎(ケイシャ)は一騎打ちをしましたが、信(シン)が振り下ろした剣が慶舎(ケイシャ)に届きました!

信(シン)は慶舎(ケイシャ)を打ち取ることに成功します!

 

桓騎鬼畜の所業と紀彗の決断

桓騎(カンキ)は黒羊丘(こくよう)の戦いで、敵兵を拷問(ゴウモン)して紀彗(キスイ)と離眼(リガン)の盟主となるまでの情報を得ました。

桓騎(カンキ)は丘から全軍を撤退させ、黒羊(こくよう)の樹海にある集落を襲いました。

桓騎(カンキ)は女子供を問わず虐殺(ギャクサツ)し、その中には羌瘣(キョウカイ)を助けた老婆の姿もあったのです。

そして、なんと虐殺(ギャクサツ)した村人の死体でアーチを築くという、まさしく鬼畜(キチク)の如き(ゴトキ)所業(ショギョウ)を行ったのです。

桓騎(カンキ)は紀彗(キスイ)にアーチを見せ、離眼(リガン)でも同じことをすると脅しました。

紀彗(キスイ)は離眼(リガン)を守るために、黒羊丘(こくよう)の戦いを諦めました。

紀彗(キスイ)が丘を降りると、桓騎(カンキ)軍と飛信(ヒシン)隊は趙(チヨウ)軍を圧倒しました。

勝利のためなら手段を選ばない桓騎(カンキ)が黒羊丘(こくよう)を制覇し、秦(シン)軍は完勝しました。

 

キングダム黒羊丘の戦い桓騎の戦術を史実を基に解説!

キングダム黒羊丘の戦いネタバレ!桓騎の戦術を史実を基に解説!

趙(チヨウ)軍は慶舎(ケイシャ)、秦(シン)軍は桓騎(カンキ)を総大将に激戦が繰り広げられた黒羊丘(こくようきゅう)攻防戦。

結果的には、秦(シン)軍の圧倒的な勝利でした幕を下ろしましたが、桓騎(カンキ)は戦の最中にどのようなことを考えていたのでしょうか?

「戦いは必ずしも目の前の敵を倒すだけではない」ということを両軍が思い知らされる黒羊(こくよう)での桓騎(カンキ)の戦術について、詳しく解説していきたいと思います。

 

桓騎の敵の心理を読み切った戦術!

キングダムで黒羊丘(こくようきゅう)の戦いがあった時期の史実を解説する前に、まずは桓騎(カンキ)の戦術を解説していきたいと思います。

桓騎(カンキ)の戦術は、元野盗という経歴からくる狡猾(コウカツ)さと残忍(ザンニン)さを特徴としております。

また、敵の心理を読んだ奇策や、兵糧(ヒョウロウ)や補給を奪うことで敵を弱らせることを得意としていました。

黒羊丘(こくようきゅう)の戦いでは、秦(シン)と趙(チヨウ)の両軍が最も高い丘を取り合うとうい構図になっていましたが、実は「本当の勝ち方」を両軍の誰もが最後まで分かりませんでした。

しかし、桓騎(カンキ)だけが冷静に戦局を見極め、勝つための要件を着々と探っていたのです。

桓騎(カンキ)がこの戦いの勝つには、「丘の取り合いでは無い」ということを両軍の誰よりも早く見極めます。

桓騎(カンキ)が見出したこの戦いの勝ち筋は、「紀彗(キスイ)を戦場から離脱させる」ことでした。

紀彗(キスイ)が黒羊を離れるということは、趙(ちょう)軍の敗北を意味します。

普通に考えたら紀彗(キスイ)を戦場から離脱させることは不可能です。

しかし、桓騎(カンキ)には絶対の自信がありました。

それは、紀彗(キスイ)が離眼(リガン)の盟主になった経緯と深い関係があります。

敵兵を拷問(ゴウモン)して、紀彗(キスイ)の過去を知った瞬間、敵の心理を読む天才であり勝つためには手段を選ばない桓騎(カンキ)だけには、秦(シン)軍の勝ちがはっきり見えていました。

※桓騎(カンキ)との関係が気になる衣央(イオ)と、彼女の姉である偲央(シオ)の最後について気になる方はこちらをご覧ください。

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黒羊丘の戦いは史実として本当にあったのか?

結論から言うと「黒羊丘(こくようきゅう)の戦い」は、漫画キングダムの創作のため史実には存在しません。

また、当時の地図や戦国の趙(ちょう)の領内などを調べてみましたが、「黒羊」という地名は、残念ながら中国には存在しない地名のようです。

しかし、慶舎(ケイシャ)と桓騎(カンキ)という2人の将軍は実在の人物であり、秦(シン)の趙(チヨウ)攻略において活躍しことが記録されています。

また、キングダムの黒羊丘(こくようきゅう)の戦いの元になった史実があります。

史実では、紀元前236年、秦(シン)は中華統一に本腰を入れ始めました。

趙(チヨウ)の将軍は龐煖(ホウケン)が、燕(エン)に侵略し国内が手薄になっている隙を狙い秦(シン)は趙(チヨウ)へ侵略します。

秦(シン)の総大将は王翦(オウセン)、副将は桓齮(カンキ)、末将は楊端和(ヨウタンワ)である。

まず、鄴(ギョウ)の周辺の9城を落とし、そして、全軍を1軍として閼与(アツヨ)と轑陽(リョウヨウ)を落とす。

18日後、王翦(オウセン)は兵糧(ヒョウロウ)の問題があった為、軍の10分の2の精鋭部隊を率い鄴(ギョウ)や安陽(アンヨウ)を落としました。

以上が、キングダムの黒羊丘(こくようきゅう)の戦いの元となった史実です。

創作の物語では、桓騎(カンキ)軍の特徴や強さを強調するために、戦いのフィールドを広大な平原ではなく、あえて見通しが悪い密林に設定し、いくつもの丘がある「黒羊」という架空の場所が舞台となっています。



 

まとめ

キングダム黒羊丘の戦いネタバレ!桓騎の戦術を史実を基に解説!

今回は、キングダム黒羊丘(こくようきゅう)の戦いについて、ネタバレと桓騎の戦術を史実を基に解説してきました。

桓騎(カンキ)の戦術は、彼の天才的な状況判断と残虐性をがあってはじめて成立します。

それゆえに、両軍の誰もが思いもよらない形で黒羊丘(こくようきゅう)の戦いの決着がついたのだと思います。

黒羊丘(こくようきゅう)の戦いで秦(シン)軍を勝利に導いた桓騎(カンキ)軍でしたが、後の宜安(ギアン)城攻略で李牧(リボク)に敗北しています。

また、桓騎(カンキ)軍の主要メンバーも壮絶な最後を迎えました。

戦国時代なので戦死は仕方がないと思いますが、悪行の限りを尽くしてきたバチが当たったと個人的に思ってしまいました。

黒羊丘(こくようきゅう)の戦いについて、ネタバレと桓騎の戦術を史実を基に解説してきましたが、いかがだったでしょうか。

また、キングダムの気になる話題について、皆さんに楽しんでもらえる記事を書いていきたいと思います。